![]() 今、私はベトナムにいて、蛙とコオロギの鳴き声、滝の音、その他のいろんなものの奏でる美しい交響曲に耳を傾けながらこれを書いています。 ホテルの部屋の外でこの音楽を聴く。そうすると、自分がどれほどに旅を愛しているかを思い出します。けれど、過去数十年間は霊的な成長を最優先にして生き、この頃に私の旅が変化しました。初めての場所を訪れることは今でも大好きですが、アクティビティを次から次へとこなしたり、高級レストランでご馳走を平らげたりすることは、今はもうしなくなりました。近頃は旅先にも修行を持ち込みます(ホテルの部屋で使うキッチャリー用の炊飯器も忘れませんが)。そして、初めての光景、音、経験に囲まれるという奇跡を楽しみます。休暇を終える頃にはくたくたに疲れ果て、楽しみといえば次の休暇を計画するくらいだった過去は、もうとうの昔に過ぎ去ったのです。今では、帰宅する頃には出発前よりもエネルギーにあふれ、自分の歩む道とさらに深い結びつきをきずくようになりました。 旅行者兼アーユルヴェーダとヨガの徒として学んだことは、楽しみを追い求めているうちはそれを捕まえることができない、ということ。何かを追い求めるのはrajasicラジャシック(やがてかく乱に至る活動)な行為です。多すぎるラジャスは、あなたが本来内側に存在するものを外側に探している兆しです。速度を落とし日々の行を深め、それに伴うsattvaサットヴァ(バランスと調和)を経験すれば、内側からこんこんと湧き出る喜びのフィーリングに触れることができるでしょう。あなたが世界のどこにいようと、何をしていようと、そんなことは関係ありません。あなたは楽しむことができます。なぜならあなたはすべての人に、すべての場所に、すべての物事に、そしてもちろん自らの内にも天与の光を見出すのですから。 充実した楽しさを味わう![]() アーユルヴェーダは「生命の科学」と呼ばれます。その教えが、いかにして肉体の中で繁栄するかを説くものだからです。ですが、食べ方と暮らし方にまつわるアーユルヴェーダの叡智に直面した時、短期的な快楽に溺れていた人たちにとって、この叡智が決まりごとのように映ることが多いのです。楽しいと思っていたことはすべて(例えば大きなケーキを食べたり夜更かししたり)、「やってはいけないこと」に属します。「やるべきこと」のリストは短く見えるし、魅力的にも映りません。 けれど、実際、アーユルヴェーダには決まりごとなど存在しません。決まりごとなんていうものは、この広大で複雑なアーユルヴェーダという科学をシンプルに現代風に解釈した産物にすぎません。アーユルヴェーダが提案するのは、心身が自然に欲するものは何か、その声にもっと耳を傾けてそれに応える、ただそれだけなのです。このことを尊重することができたら、本来の自分の姿がもっと強く感じられるでしょう。これができれば、自分がいかにして深く有意義な人生を経験したいと望んでいるかが見えるようになります。自分の真の姿を知り、何を欲しているかが分かったその瞬間に、「やるべきこと」リストは無限大に広がり、深く充実します。 あらゆる瞬間に喜びを呼び込む![]() いつでも望んだ瞬間に喜びを招く、これができないなら、楽しさについて今一度見直すタイミングかもしれません。 サットヴァな在り方で楽しむ方法を理解する最良の方法の1つは、子供が遊ぶのをよく観察することです。子供達は簡単に自分の真の姿を見せてくれます。子供達の活動の目的はただ1つ、この世界の探求です。子供達はその間、誰に見られようと全く意に介しません。 自然な在り方は、遊び心と喜びが溢れる姿です。まさに幼い子供達のようなのです。今月のポーズ、garbhapindasanaガルバピンダアーサナ(胎児のポーズ)であなたのインナーチャイルドにつながってください。背骨でごろごろと転がりながら、あなたはもう一度生まれ変わって生きていることの奇跡を再発見するでしょう。 自分の内側に潜って自分が本当はどのように自己表現したいかを見出す、そんな時、もしかしたらあなたは、楽しいこととは、今まで想像していたよりもずっとシンプルなものであったことに気づくかもしれません。川に飛び込むことかもしれないし、夏の嵐の中に飛び出して冷たい雨を顔に浴びることかもしれません。あるいはアーユルヴェーダスパイスの使い方に創造性を発揮したり、泥んこの中を裸足で歩いて、泥がつま先の間ににゅるにゅると入るのを感じることかもしれません。 あなたの人生に楽しさと喜びをもたらすものはなんですか?私にとってのそれは、料理をすること、教えること、朝の行と私の犬たちです。けれど、何よりも、すべてに対する私の態度です。昼食後の普通の散歩も、道すがらすべてを新鮮な眼差しで見つめれば、これは楽しさをもたらす行為です。 あなたがもし真我に自分を近づける楽しみを探しているなら。こんなことを考えてみてはどうでしょうか:
何をしていても構わないのです。瞑想用のクッションに座っていても、世界のどこにいても、遊びごごろを持つこと。深刻になりすぎているなと思ったら、自分に向かってにっこりと笑い、人生の明るさを探しましょう。
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12 月 2019
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