マイラ・リューインより ![]() 私たちのレギュラーゲストである妻に促されて、私たちの元に一人の男性ゲストが滞在しました。それまでの彼は、肉やスパイシーな食事を食べ、アルコールを飲み、やることと見ることが満載の忙しいライフスタイルを送っていました。たった一週間、朝のプラクティスに参加し、アーユルヴェーダ式の食事を食べ、自然界のサトヴィックな質に囲まれることで、彼は驚いたことに10歳は若返った感じがすると言いました。 アーユルヴェーダとヨガを通じた回復の可能性は見事なものです。私たちのゲストが発見したように、何を食べるか、どのように生活を送るか、どこにフォーカスするかといったシンプルなことを調整するだけで十分に、その人が生きている中で新しい経験を見つけることができます。私たちは多くの場合、その人の健康と内なる平和を阻害しているものを取り除くよりも、ほんの少しのことを行います。そのことによって感覚を賢く使い、真の健康への旅路を始めることができるのです。
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![]() 私たちは子宮の中から始まっています。子宮では、私たちの感覚は守られていて、意識は内側に向いています。しかし、生まれ出た時に私たちは感覚の経験の襲来を受けます。この世は、膨大な数の見るもの、触るもの、味わうもの、感じるもの、聞くもので溢れています。そして、そのうちのほとんどは注意を向けるに値しないものなのです。 抑制なく動くことを許すと、感覚は私たちを引っ張り回し、ときに善行とはいえないことをしてしまうことがあります。しかし、内側に意識を向けたとき、感覚は引き出され(ヨガのプラクティスでは、プラティヤーハラpratyaharaと呼ばれます)、切望や欲望に背を向けることを学びます。 プラーナヤマpranayamaのプラクティス(練習と実践)は、内側を見るということを私たちに教えてくれ、プラティヤーハラをサポートします。呼吸を使い、プラーナを下の方のチャクラから上の方へ動かすことで、より高次で霊性の自分自身を経験することができます。プラーナが流れるとき、マインドは穏やかになります。もう感覚に引っ張り回されることはなく、物事に対して適切に”イエス”、”ノー”が言えるようになります。 ![]() アーユルヴェーダを実践することは病気を防ぐことにつながりますが、この科学では病気にかかったときに何をするかについても多くを伝えています。 病気のときは、あなたの体をケアする時間です。スピードを緩め、休息し、バランスを取り戻して、というサインなのです。そこで大事なのは、完全に回復するために時間をかけることです。それより大事なことはありません。この時間で何をするかで、どれくらいの速さで回復するか、また後にどのくらいの健康レベルまで回復するかが変わってきます。症状がなくなるまでに何をするかは自分の責任です。ベッドで過ごし、コンピュータやほかの画面を見るのを避け、一番大事なのはとてもシンプルな食事だけを食べることです。 アグニ(消化の火)は、病気のときには弱まりますので、いつもと同じような食事を消化することはできません。でもあなたが回復に向かうには、栄養が必要です。クニ(ミネラルソルトとギーで調理されたお粥)は簡単に消化できるので、病気のときにはぴったりの食事です。 ![]() 私は2018年4月より、東京・中野坂上でアーユルヴェーダカフェを運営しています。 前職は全く違う仕事をしており、「食」に関わる仕事をすることになるとは思っていませんでした。 私たちはなぜ食事を気にするのでしょう? 突飛な例ですが、文学や絵画、音楽のような芸術はなくても生きていけるかもしれませんが、なければ人生を彩りのないものにし、逆にあれば人生がより豊かになります。私はアーユルヴェーダの食事法を学ぶ中で、「食」もこの芸術の一つと感じるようになりました。意識的でない食事を続けても死にません(結果的に死を早めるとしても)が、意識的な食事は体の健やかさと心の美しさをもたらしてくれます。 でも極端な食へのこだわりや厳格なルールは、頑固な印象を与え、人との付き合いを難しくするかもしれません。これは私がよく感じることです。「分かってくれる人にだけ分かってもらえればいいわ」という態度だと、個人としては閉鎖的になり、お店としては営業が成り立ちません。どうしたら、まだ多くの人にとって馴染みのないアーユルヴェーダの食事をうまく伝えていけるのか? アーユルヴェーダカフェを運営しているといろいろなことを考えさせられます。 今回は、アーユルヴェーダカフェを運営する中で私自身が感じたこと、お客様の反応、Hale Puleの料理についてお伝えします。 ![]() バナナ・フォスター(※バナナに砂糖をかけてバターでソテーしてからラム酒などでフランベし、シナモンなどをかけバニラアイスを添えたデザート)。こうしてその名前をタイプするだけでもよだれが出て、気持ちが高ぶってしまうような、甘い思い出です。 子供の頃、家族と一緒にみんなでおしゃれをしてディナーを食べに出かけました。その夜のテーブルの横では、バナナフォスターが火をつける用意をされていました。 親愛なる友人、フランキー(悲しいことにこの世を去ってしまいました)は、私が20代の頃に催したパーティーでこの華々しく豪華なバナナ・フォスターを作ってくれました。 でも、今は静かなアシュラムで夜明け前の・・・ちょっと待って、な、何?? |
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12 月 2019
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