マイラ・リューインより ![]() よく人から「ハレプレではどんな種類のヨガをプラクティス(練習と実践)し教えているのですか」と聞かれます。この質問に答えることは、見た目よりも簡単なことではありません。ハレプレで教えプラクティスしている一貫した方法はありますが、私たちが伝えたいのは、ヨガを“正しい手段”でプラクティスすることよりも、ヨガはそれ以上のものであるということなのです。ヨガは直接的に神へとつながる道です。そしてヨガのプラクティスは、いかに宇宙とつながるかということなのです。どのようにプラクティスするかも大事ですが、より大事なのはあなたのアプローチが一貫しているかということです。 ハレプレに学びに来る生徒たちは、それまでに多くの先生と様々なスタイルのヨガに取り組んできています。何人かの生徒にとっては、私生活や彼らの仕事にとって役に立っている知恵として学んできたことが、ここでの学びと一列につながりますが、また他の生徒にとっては私たちが教えることが、彼らの知っていることにそぐわないこともあります。 様々な先生からの学びを、いかに意義あるプラクティスに落とし込むかを決めるのは、各人にかかっています。私自身が30年近くプラクティスを積み教えていく中で、進歩した生徒の方が1つの一貫したアプローチをとるのが早いことがわかりました。それは彼らが、自分の望む深さに届くため常に新しい方法を模索しているからです。エクナット・イーシュワラン Eknath Easwaranの言葉を言い換えれば、「浅い穴をたくさん掘るよりも、1つの穴を深く掘った方がより早く水にたどり着ける」ということです。
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![]() 英雄になるとは、どういうことでしょうか? 最近では、この言葉は戦争や支配の文脈で使われ意味が混同されるようになってしまいました。英雄的な資質、勇敢であることや強さを持つことは、ヨガのレンズを通して見ると全く違う意味を持ってきます。 私たちは、常に人々や制度、ものごとと戦うようにマインドに引き込まれます。しかし、あなたの外側にあるものと戦うことは、内側との真なる戦いから気を散らしているに過ぎません。この時代を超越した戦いでは、マインドとエゴを正しい場所に正しい大きさで置くようにと求めていると、バカヴァット・ギーターで概説されています。このような戦いの中で英雄になることは、私たちにエゴの武器を下ろし、私たちとその他すべての生き物との間にある単一性を受け入れることが求められます。簡単なように聞こえるかもしれませんが、この旅路には強い不屈の精神が必要です。 ![]() 少し調べれば、たくさんのアーユルヴェーダのレシピやアーユルヴェーダのレシピ本、アーユルヴェーダのシェフを見つけることができるでしょう。でも”アーユルヴェーダ料理”というものを見つけることは決してないでしょう。それはアーユルヴェーダが単なる料理の方法だけではなく、自然のリズムというレンズを通した食べ物や人生の見方でもあるからです。 自然は絶えず変化しています。あなたが例えば家の周りで何が起きているかを注意深く見てみれば、1日として同じ日がないことに気がつくでしょう。あなたの心と体は自然の反射ですから、同じようにいつも変化しています。実際に、サンスクリット語の体を表す言葉”sharira”は、”常に変化するもの”と訳されます。 アーユルヴェーダのシェフになるということは、自然の導きに従うということです。あなたは、ドーシャバランスや、アグニの状態、季節の旬のものや環境の変化に基づいて、柔軟な態度で料理することを学ぶのです。 ![]() 塩は、世界中で何百年もの間使われてきました。最も古くからある調味料で、料理の要とも言えます。数千年前から塩が薬として使われてきたと聞くと、あなたは驚くかもしれませんが、塩は消化を促したり、滞りを解消したりする、ヒングヴァシタカhingvastakのような、いくつかのアーユルヴェーダの処方の鍵になる材料でもあります。 この鉱物からは多くの恩恵があるにもかかわらず、現在の医学のシステムの中で塩は問題視されたり、悪者扱いされてきました。しかし、塩を排除したり、極端に少なくしたりすることは、大きな影響をもたらすことになります。 ホリスティックな(総体的な)視点から見れば、塩自体には問題がないことは簡単に理解できます。塩が過剰に使われたとき、誤用されたとき、もしくは高度に精製されたとき(一般的に「食卓塩」などと呼ばれるもの)に健康問題が生じるのです。この自然からの贈り物は適量使用することで、とてつもなく大きな恩恵を受けることができるのです。 |
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2 月 2019
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