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自分が人生でどう感じたいのか、最終的にはそこに行き着きます。
ここ、Hale Puleではsattvaサットヴァについてについて多くを語りますし、 実際、私たちは、アーユルヴェーダとヨガの実践の目的は、心にサットヴァを増やすことと考えています。それはなぜでしょうか? 自分が人生でどう感じたいのか、結局のところはそこに行き着きます。私は動揺するよりも平安を感じていたいし、体が強くて俊敏な時にこそ心底楽しめていて、体に繋がっていると感じられます。心が開かれていて目の前で起こっていることに熱意が持てる時は自分の経験をほぼ余すことなく自分のものにできているということが分かります。満たされていると感じます。 揺るがない充足感、これこそがsamtoshaサントーシャで、それがいかにサットヴァに根ざしているかが分かります。自然界に、私たちの食べ物の中にサットヴァのエネルギーを見ることができます。ほとんどの果物はサットヴァです。Hale Puleでは週に数回、果物を食べています。 マイラ・リューイン著 ブラフマチャリヤはエネルギーの管理を実践することです。
それには、あなたの体と心を知ることも含まれています、言い換えれば、いつあなたの足をアクセルの上に置くべきか、そしていつ離すべきかを知ること。そして時には、あなたに車を駐車させて田舎道を散歩に出かけさせることなのです。 ブラフマチャリヤの実践は原因と結果、行動と結果を考慮するということなのです。私たちのほとんどは、望ましい結果を得るためには最大限の努力を払うことが常に必要である、と信じるように条件づけられています。私たちはどこかにたどり着くために一生懸命働く必要があると言われます。しかし、人生へのこのアプローチは最終的に枯渇します。それは私たちがやり過ぎることにつながります。そして、それは私達が結果、すべての結果、に責任を持つものであると信じるように私達を導きます。 真実は甘い味。
日本人向けの200時間のヨガインストラクター養成講座の2週目が始まりました。(注:英語版ブログは3/20付け)私は日本からの生徒たちと仕事をするのが大好きです。彼女たちには表面からそれほど深くないところに安らぎがあります、そして直感的にヨガとアーユルヴェーダの根底にある哲学を把握する傾向があるのです。彼女たちのこの理解が本当に特別な学習環境を作り出します。 先日、ある日本語でのインストラクター養成講座の間に作った素敵なレシピを思い出しました。日本人生徒のための旅行を企画した会社は、生徒に帰国日を間違って伝えており、彼女たちは私たちともう1日一緒に過ごすことになりました。私は皆に、平和と明快さをもたらすための何か特別なものを作ろうと考え、「平静のための蒸しパン」- 蒸した、甘い香辛料入りの蒸しパンを思い付いたのです。 あなたはヨガとアーユルヴェーダを定期的に練習していますか?半定期的?定期的に不規則に?たぶん、あなたは多くの人達のようでしょう。
つまり、一貫して練習する段階を経て、それからどういう訳かその段階から離れていく。 あなたの真のコミットメント(誓約)を妨げるものは何ですか? 執筆:マイラ・リューイン 新しい年、新しいあなた?
1月のあなたのインボックスには、より良いあなた自身への道へと誘うEメールがどれだけ届きましたか?新しい年は、新しい白紙、ページめくり、新しい章、あるいはまったく新しい本のようなエネルギーさえ持ち合わせています。現代の文化では、新年は全く白紙にして、明るい未来を迎える機会と見なされています。 しかし、昨年、その前の年を振り返ってみてください。その前の年も。あなたは新年に受けたインスピレーションの勢いを維持することができましたか、または動機は古い習慣と失望へ道を譲ってしまいましたか?自分自身がある種の経験や関係を年々繰り返しているのに気づきましたか? 変化への欲求が具体的な結果につながらない場合は、変化の動機を考えてみることをお勧めします。多くの人にとって、「新年、新しいあなた」の考え方は、贅沢な年末年始、あるいはおそらく甘やかされた一年の罪悪感に根ざしています。あるいは、それは現在の状況に対する不満から来ているのかもしれません。 それで、あなたがしたい行動をとるのを遮るものは何でしょう?あなたが求める深くそして永続的な変容を妨げるものは何でしょう?罪悪感と不満は単なる恐怖の味わいと言えるかもしれません。そして、恐怖の場所から行動しても、決して良い結果がもたらされることはありません。 そこで、あなた自身に尋ねてください:自分はどのように生きたいのか?恐れながら、それとも信念を持ちながら? マイラ・リューイン 最近慌ただしいですか? 電気を付けっ放しにしていますか?立ちながら食べたり、オンラインで買い物しながら食べたりしていますか?車の鍵を失す、とか?
休暇にはすることが一杯です。楽しむことが沢山あり、 愛する人達にも会うでしょう、イベントに出かけたり、計画しなくてはならない食事のプランがあったり。でも、予定が(とても)詰まったスケジュールでは、あなた自身、もしくは他者を満足させるために、おそらくあなたは1日を通して慌ただしく過ごし、沢山の事をやり遂げないと、と感じることでしょう。慌ただしいこと、というのはいい感じがしませんよね? ![]() 感性と知性、女性らしさと男性らしさ、月と太陽、夜と昼。全宇宙で、相反する性質の組み合わせが生き生きとしたダンスを醸し出します。 アーユルヴェーダは、環境や私たちの自身の中に、この相反するものの相互作用の価値を見いだすのです。実際、相反するものがバランスをもたらすという考えは、アーユルヴェーダ療法の核となる原則です。この原則を食事や日々の活動に当てはめることができるのです。一番大切となるのが、これを自分自身のエネルギーを操るために当てはめるということでしょう。 ここでいうエネルギー、というのは、プラーナの事を指していると理解してください。プラーナは一般的に「生命力」と説明されますが、プラーナには様々な種類があります。プラーナは宇宙で最も微細な元素で、「空」、「風」、「火」、「水」、「地」の元素の本となります。これらの元素が私たちの体を作り、宇宙を作っているのです。ですから、プラーナは私たちが経験すること全ての根底にある原因だと言えるでしょう。プラーナは生命を作り、それを維持します。プラーナが引き抜かれてしまった時、衰弱や死という結果となるのです。 アーユルヴェーダとヨガは基本的にプラーナ的な薬だと言えます。アーユルヴェーダとヨガの実践の目的は、深い持続的な治癒が起こるように、私たちという存在の中のプラーナの流れを促すことです。特に天与の女性性エネルギーと男性性エネルギーといった私たちの中の相反する側面のバランスをとることによって、プラーナの流れを最適にさせるのです。 この2つのエネルギーは、性別に関わらず、私たち皆の内に存在するのです。 女性性エネルギーは内の世界を照らしだし、感性、慈悲、優しさといった性質を持っています。私たちのこのような側面はカパ・ドーシャ(冷やす性質の水の元素、地の要素)、右脳、左半身に関連しています。男性性エネルギーは外の世界に向かわせます。これが、職場での私たちの知性の火、つまり行動を起こす欲望なのです。私たちの男性的な側面はピッタ・ドーシャ、左脳、右半身に関連しています。 マイラ・リューインより ![]() 夏の時期には、緊張が高まり、気性が上り、忍耐力が低下します。これらはピッタ・ドーシャが過剰なときに出やすい数多いサインのほんの一部です。しかしながら、私たちのゴールが心と体のバランスを取ることであるならば、ピッタが他のドーシャと同じようにポジティブな用途でも役に立つことを覚えておくことは大事なことです。 ドーシャのネガティブな側面ばかりを見ていると、私たちが進むべき方向を見失ってしまうでしょう。私が600時間のアーユルヴェーダ・ヘルスカウンセラー資格取得プログラムのドーシャのレッスンを書いたときに、ヴァータとピッタとカファが整ったときの多くのポジティブな面を紹介しているのは、そのためです。ピッタについて、バランスの取れている状態と、バランスが乱れている状態の両方について話すことができると、人生がバランスの取れた状態になったときに、どのように感じるかを認識しやすくなり、そこから離れていったときには、その物事がひっくり返るということがわかりやすくなるでしょう。 マイラ・リューインより ![]() よく人から「ハレプレではどんな種類のヨガをプラクティス(練習と実践)し教えているのですか」と聞かれます。この質問に答えることは、見た目よりも簡単なことではありません。ハレプレで教えプラクティスしている一貫した方法はありますが、私たちが伝えたいのは、ヨガを“正しい手段”でプラクティスすることよりも、ヨガはそれ以上のものであるということなのです。ヨガは直接的に神へとつながる道です。そしてヨガのプラクティスは、いかに宇宙とつながるかということなのです。どのようにプラクティスするかも大事ですが、より大事なのはあなたのアプローチが一貫しているかということです。 ハレプレに学びに来る生徒たちは、それまでに多くの先生と様々なスタイルのヨガに取り組んできています。何人かの生徒にとっては、私生活や彼らの仕事にとって役に立っている知恵として学んできたことが、ここでの学びと一列につながりますが、また他の生徒にとっては私たちが教えることが、彼らの知っていることにそぐわないこともあります。 様々な先生からの学びを、いかに意義あるプラクティスに落とし込むかを決めるのは、各人にかかっています。私自身が30年近くプラクティスを積み教えていく中で、進歩した生徒の方が1つの一貫したアプローチをとるのが早いことがわかりました。それは彼らが、自分の望む深さに届くため常に新しい方法を模索しているからです。エクナット・イーシュワラン Eknath Easwaranの言葉を言い換えれば、「浅い穴をたくさん掘るよりも、1つの穴を深く掘った方がより早く水にたどり着ける」ということです。 |
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12 月 2019
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